787とともに…

航空好きの私が趣味で撮影した写真や航空業界のニュースについて様々考察していきたいと思っています!航空好きの皆さんと楽しめるようなブログを作っていきたいです!

【DREAM STORY】ジャンボ初飛行50周年おめでとう!

まずはじめに、このDREAM STORYでは航空機の紹介、さらに航空会社などの歴史などを紹介するシリーズです。シリーズの更新は不定期です。

今日、2月9日はB747が初飛行してから50年という節目を迎えました!空の女王ジャンボジェットは50年経った今でも世界の空を飛び回っています。僕も始めて乗った飛行機は東京-ホノルル線で運用されていたJALの747でした。今日はこのB747の歴史を見ていきたいと思います!

747ヒストリー Episode1 〜開発〜

 1960年代は国際線の主力旅客機といえば、B707JALが導入していたダグラス製のDC-8といったナローボディ機が主流であったがどんどん増加する航空需要に対応ができなくなることは目に見えていたのだ。従来の旅客機の輸送力の2倍程の定員の旅客機を求め、パン・アメリカン航空ボーイングに求めた。この時期、ボーイングアメリカ空軍の時期戦略輸送機の競争にローキード社に敗れた。この設計を元に作られた旅客機が今のボーイング747となったのである。この時の納期までの期限は28ヶ月と通常の2/3というスピードでの開発であったがそれを成し遂げたのである。パンナムが20機を確定発注したのを皮切りにノースウェスト航空、トランスワールド航空、日本航空、英国海外航空など国際線を運航している各国26の航空会社から発注を受け予想よりも多く受注した。747は貨物機に将来的には、改造できるように構造上通常の旅客機よりも高い位置にコックピットがあるのも、世界中の航空ファンだけではなく、多くの人々が驚いたことであろう。パイロットはこの高いコックピットに習熟する必要があり、トラックを改造して実際のコックピットと同じ高さからタキシング訓練を行った。

747ヒストリー Episode2 〜飛躍〜

 1970年1月にパンナムがニューヨーク-ロンドン線に就航し初期に発注した航空会社に続々と納入され運行開始されていった。だが、この頃の国際線運賃はエコノミークラスでも庶民に届く価格ではなかった。もちろん座席が埋まるはずもなく空席だらけで赤字であり、その大きな機体を多くの航空会社は持て余すこととなっていた。そして、今までの航空運賃の常識を覆すような形をとるようになったのである。それは…「運賃を下げて座席を売ること」であった。この作戦は大成功!パンナムを筆頭に運賃を下げていき、庶民でも国内外の旅行に航空機での移動という選択肢が増えたのであった。まさに航空史を大きく変える結果となったのであった。

747ヒストリー Episode3 〜派生〜

ボーイングの予想を大きく上回る受注を獲得し、747が長距離大型機市場を独占することなり、この独占体制は2007年のA380が登場するまで続くのであった。そして、各国の航空事情や貨物輸送などの需要などとともに様々な派生型が誕生した。

-100 747の基本型とされている

-100SR この時期から異端であった日本の航空業界。高需要なのに発着枠が足りず大型化以外の選択肢がなく、短距離型の747としてボーイングが開発。離着陸に関わる部分の構造を強化。導入航空会社はJALANAのみ。

-200 機体中央に燃料タンクを増設し航続距離を延長し、増設した燃料タンクにより重量が増加するため、ランディングギアを強化

-200M -200の貨客混載型

-200F -200の全貨物輸送型

-200C -200のコンパーチブル型

SP 胴体を短くし、航続距離を大きく伸ばした。

-300 アッパーデッキのみを延長し収容力を高めた。アッパーデッキが終わる部分と主翼が始まる部分を合わせることで空気抵抗を小さくした。貨物型の-300Fはアッパーデッキ部はメインデッキよりも天井が低くなるために、アッパーデッキを延長する必要性が無いため製造されなかった。

-300M -300の貨客混載型

-300SR -300の短距離型

747ヒストリー Episode4 〜ハイテク化〜

-300が就航して1年後の1984年にはボーイングはさらなる航続距離の延長が必要ということが航空会社に調査をした結果、判明した。この-400通称、ハイテクジャンボは新たなるジャンボの歴史を形成していくこととなる。今までの航空機は3人乗務を基本としていた。機長、副操縦士航空機関士のうち機械をコンピュータを駆使してハイテク化させ、機長と副操縦士の2人乗務に変更。さらにウイングレットを追加し抵抗を減らし、燃料の消費を抑えさせることになる。また、重量の増加に対応して、エンジンや構造を強化したりアッパーデッキを延長させた。ただ設計を大きく変更したため、開発は難航。結果として、初飛行となったのは1988年となった。この-400は姿こそB747ではあるものの今までのB747とは中身を始め、古くなったB747を新型旅客機として生まれ変わったと言っても過言では無い。ハイテクジャンボは今までのクラッシックジャンボの受注数の総数を上回るほどの受注を獲得したのである。このハイテクジャンボも多数の派生型を誕生させている。純貨物型の-400F、コンビ型の-400M、短距離国内線向けの-400D、航続距離延長型の-400ERの4種類。この中でも400Dは-100SR、-300SRと同じように特殊な日本の航空事情に合わせて作られた機体となっている。-400ERは地理的に超長距離となってしまう南半球のカンタス航空のみが導入している。この-400は747シリーズでの最大のヒット作となった。とりわけ、A380が2007年の就航開始となるのでそれまでの超大型機市場を独占し、増え続ける航空需要を支える立役者となっていったのであった。

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↑現役の政府専用機もこのボーイング747-400

747ヒストリー Episode5 〜衰退〜

2001年9月11日に起こったアメリ同時多発テロがジャンボジェットの運命を大きく変えた。この年の前にも双発機で長距離型のB777に押され気味ではあったのの受注は確保し続けていたのだが、この同時多発テロを境に航空会社の経営は大きく傾いたのである。いわゆる、世界的な航空不況が訪れた。航空各社は燃料消費の少ない双発機での長距離運用を求め、燃費の悪い4発機のジャンボへの受注は急速に落ち込んだ。さらに追い討ちをかけるようにライバルのエアバスは世界最大の旅客機総2階建のA380を2007年に市場に投入。40年近く最大の旅客機として君臨してきた747はついに最大旅客機の座を譲ることとなった。また、787の開発は遅れに遅れ、747を始めとする既存旅客機の派生型の開発は遅れていくのであった。787の開発終了後、その技術を活用して737にはMAXファミリー、747には-8、777には-8、-9、-10の開発を進めていくこととなった。747-8は旅客型の受注は先述の理由より、伸び悩み現在運用しているのは、ルフトハンザ航空、大韓航空中国国際航空の3社のみ。ただし、世界最大のの旅客機として君臨しているA380も新規受注は難航。さらに貨物型の開発は凍結。とこちらも苦戦気味であることは確かである。貨物型では現在も受注を獲得しているが、ボーイングは今後新規の受注を獲得できなかったら生産ラインの閉鎖も検討しているそう。

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↑数少ない-8の旅客型。ルフトハンザ航空

747ヒストリー Episode6 〜今後〜

日本の航空会社からは旅客型の747は2014年に ANAがラストフライトを実施し退役、世界最大の747オペレーターであったJALも2011年に退役させている。現在も発注した数ではJALが1位である。かつて日本の空港にはジャンボであふれていた。空港に行けばとりあえずジャンボがそこにはいた。子どもの時から見ていたジャンボ。ただ今は狙いに行って撮りに行くことになってしまった。羽田にやってくるジャンボはここ数年で激減。ルフトハンザ航空、タイ航空、そしてカンタス航空の3社。カンタスは20年までに退役させることを決定しており、タイ航空もいずれ退役させていくことでしょう。

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カンタス航空 B747-400ER 

暗い話題が続いてしまっている747、ジャンボジェット。747は確かに航空史を大きく変えた立役者であった。ただし、時間は止まらない。今は新しい機体でもいずれは古くなり旧型機と呼ばれる時がくる。747が歴史上の旅客機となるのも近いのかもしれない。747は今後も数を減らし続けいつかは乗ることすら難しくなっていくことでしょう。日本からは今年政府専用機も姿を消し、残るはNCAの貨物型のみ。ただ、半世紀の間、登場から様々な派生型を誕生させ、航空のニーズに合わせて開発し、シリーズとして続けてこれたのはボーイングの747への並々ならぬ愛であったに違いない。本当に50年おめでとう!